このページでは、イヤホンガイドでもお馴染み、花道会代表の塚田圭一が執筆した記事を掲載しています。
歌舞伎の旬の話題から、観るためにヒントなどが満載です。
過去の記事も御覧になれますので、ぜひご参考にしてください。
江戸の荒事と上方の和事
歌舞伎には「江戸の荒事」「上方の和事」と言われる対極的な演技があります。
歌舞伎の歴史は、慶長8年(1603年)に、出雲大社の巫女と言われる出雲阿国が、京で“かぶき踊り”を舞ったことが始まりとされています。
それから「遊女歌舞伎」「若衆かぶき」「野郎かぶき」と変遷していきますが、いずれも今でいう“レビュー”みたいなもので、お芝居とは言えないものでした。
現在上演されているような形に定着したのは元禄期(1688~1704年)以降のことです。
江戸には市川團十郎、上方には坂田藤十郎という名優が出現し、作者も近松門左衛門、音楽も竹本義太夫等々、各分野に優秀な才能が頭角を現してきました。
当然のことながら、上方では上方の観客に喜ばれるようなお芝居、江戸では江戸っ子向きのお芝居が作られていきました。
現代とは違い交通も不便、電話もない時代のことですから、交流が少なく、上方と江戸にはおのおのの土地の特色が強くあり、はっきりと分かれていました。江戸はいわば新興の開拓地、地方から流れ込んできた男性が多かったわけですから、がさつで気の荒い気質の人が多い。そこで好まれたのが「荒事」です。
歌舞伎十八番に入っている「暫」「矢の根」などもそうですが、筋も単純なものが多く、主人公は隈取をした勇壮活発な人物で、悪者たちをばったばったとやっつけてしまう。いわば稚気に溢れたスーパーマンばかりです。
それに対し上方は、綿々と続いている文化都市。「和事」が好まれました。俗に“つっころばし”と呼ばれていますが、突けば転びそうな和らかい、弱々しい、一見阿呆のような主人公が多いのです。
4月の歌舞伎座夜の部では、たまたま上方狂言の人気作「曽根崎心中」「廓文章」が二作上演されます。「和事」の味を、この機会に味わってみてはいかがでしょうか。
2009/03 聖教新聞掲載